『学問のすゝめ』を読む 二編

二編の内容は初編をさらに詳しく述べたものになっています。

 

実学について】

学問は文字を読むことだけを言うのではなく、物事の道理を弁えることが必要です。これを「いわゆる論語よみの論語しらず」としています。

具体的には、古事記は暗唱するが今日の米の相場を知らない者は「世帯の学問に暗き男」であり、経書史の奥義には達したが商売の方法を知り正しく取引をすることができない者は「帳合の学問に拙き人」であるという。

上記のような人のことを「文字の問屋」、「飯を食う字引」と酷評しています。

このように、『学問のすゝめ』にいう学問は、実生活に必要な様々な知識をも包含した広いものを指しています。

 

【人の権利と実情について】

初編の冒頭にもあるように、人は生まれた時点ではみな同じ(平等)で、学問の差が人間の差に直結するといいます。

二編では、「権理通義」、「有様」という言葉を用いて説明しています。

「権理通義」とは、今でいう所の権利であり、生命・身体・所有物を守ることを指します。

「有様」は実際の身分・貧富その他の実情のことをいい、「権理通義」と「有様」を混同してはならないとしています。

 

【暴政について】

身分の上下からくる政府・役人の理不尽を「人間同等の大趣意を誤りて、貧富強弱の有様を悪しき道具に用い、政府富強の勢いをもって貧弱なる人民の権理通義を妨ぐる」とする一方、恥も法も知らない馬鹿者に対しては、「道理をもってすべからず、不本意ながら力をもって威し、一時の大害を鎮むるより外に方便あることなし」とします。

 

注目すべきは、「一国の暴政は、必ずしも暴君暴吏の所為のみに非ず、その実は人民の無智をもって自ら招く禍なり。」という一文。

 

なかなか思い切った文章だと思いますが、人民の各々が日々知識の向上に励むことが政治の向上にもつながると考えれば前向きに捉えられます。

編の結論として、人民がもし暴政を避けようと思うなら、速やかに学問に志し自らの才徳を高くして、政府と相対し同等の地位に登らなければならないとしています。

 

さて、今日からまた勉強を始めるとするか。。。