感想『還暦からの底力-歴史・人・旅に学ぶ生き方』(出口治明 著、講談社現代新書)

dandeです。

 

今回は、読書記事。

 

久々に良い本を読んだなと感じています。

 

 

  目次

 

 

【『還暦からの底力-歴史・人・旅に学ぶ生き方』】

 

 

 

著者は、ライフネット生命株式会社の創業者。

 

最近、よく書店でこの方の著書を目にします。

歴史・哲学に関する本を書かれている印象です。

 

本書は文体も読みやすく、数字・データを交えたわかりやすい文章で構成されています。

 

私は還暦からは程遠い年齢ですが、本書は考え方の幅を広げるのに有用な本だと感じました。

 

 

【主な内容】

 

 

本書では、多数の提案がなされていますが、ここではごく一部だけを取り上げます。

 

「還暦からの」というタイトルですが、若者・現役世代に向けて書かれた内容も多いと感じました。

 

 

【高齢者について】

 

 

本書の冒頭部分で書かれている「高齢者」についてのポイントは「高齢者が生かされている意味」「定年制の廃止」でしょう。

 

著者は、第1章で「高齢者が生かされている歴史的、生物学的意味」(P.18)として次のように述べています。

 

 なぜ現代よりはるかに生存環境の厳しい時代に、高齢者を介護していたのでしょうか。いま最も的を射ていると思われる仮説は、高齢者はいろいろな知識や経験を持っているので、介護するコストに比べたとき、群全体の生き残りに貢献するベネフィットのほうが高かったので介護を行っていたという解釈です。

 

 (略)

 

 こうした歴史的、生物学的な事実を踏まえると、高齢者がなぜ生きているのかといえば、次の世代のためというのがその答えになるでしょう。 (本書P.18 より引用)

 

日本では、公的年金などの世代間格差が叫ばれ、世代間対立を煽るような意見も出る中、冷静な視点で考えることは大切だと改めて思います。

 

私は若者側なので、どうしても「今の高齢者は優遇されている」だとか「今の若者の未来は厳しい」だとか考えてしまうのですが、高齢者側の方から「高齢者は次世代のために働くことに意味がある」と言ってもらうのは良いことですね。

 

 そう考えると「保育園が近くにできるとうるさくて昼寝ができない」などと反対する高齢者は、自分が何のために生かされているかという本分をわきまえない人というほかありません。行政はそういう人のわがままを受け入れるのではなく、逆に「子供のいない山奥にでも行って一人で生活してください」と説得すべきです。

 

 (略)

 

高齢者より、将来を担う若者たちの優先順位を高くしなければいけないということは、昔からみんな、わかっていたのです。(P.19~20より引用)

 

保育園のくだりは、私も常々思っていたことです。

 

子どもの発育を喜ぶどころか、妨げるというのはやはり自己中心的だなと思ってしまいます。

もちろん騒音問題は軽い問題ではありませんが、子どものことであれば寛容な心をもって対処してほしいですね。そして昔の自分はどうだったか、振り返ってほしい。

 

 

【現役世代について】

 

 

次に、「現役世代」についてのポイントは、「飯・風呂・寝るを繰り返すだけの生活からの脱却」でしょう。

 

 平成の30年間では一見すると日本の労働者の労働時間は減少していますが、正社員に限ると年約2000時間で全く減少していません。全体の平均した労働時間が減少しているのは労働時間が一般的に短い非正規労働者を増やしたからです。ということは、2000時間も労働していたら(200日働くとしたら一日10時間です!)、しかも仕事後、職場で飲みにいくという悪習もあるわけですから、正社員が勉強する時間などありません。「飯・風呂・寝る」を繰り返すだけの生活になります。

 大学への進学率が低い、大学に入っても勉強しない、大学院生を大事にしない、社会人になったら勉強する時間がない。こうした日本の働き方や社会の仕組みが、日本を低学歴社会化しているのです。

 この仕組みは製造業の工場モデルにはぴったりでした。製造業で働く人に求められる特性は素直で我慢強く、協調性があって空気が読めて、上司のいうことをよく聞く人です。日本は製造業に過剰適応した社会といえます。 (本書P.42 より引用)

 

 それなのに、いまだに素直で我慢強く協調性があって空気が読めて上司のいうことをよく聞く人を採用し続けているのは、野球からサッカーにゲームが変わったのに毎晩バットをもって素振りを続けているようなもの。本人たちは一所懸命努力をしているつもりかもしれませんが、それではゲームに勝てるはずがありません。働き方改革を行い、早く職場を出て、いろいろなところを学ぶべきです。たくさんの人に会い、たくさん本を読み、いろいろなところに出かけていって刺激を受ける、つまり「飯・風呂・寝る」の低学歴社会から「人・本・旅」の高学歴社会へと切り替えなければならないのです。 (本書 P.44 より引用)

 

この「人・本・旅」という言葉は、本書で繰り返し用いられるキーワードになっており、実際重要なことだと思います。

 

そして本書は、単純な学歴(卒業高校・大学)の話を越えて、社会人の勉学についても論じています。

 

日本企業の仕組みとして、社会人が勉学に励む時間を取りづらいというのは厳しい状況ですね。

 

そして教育は若者だけのためのものではなく、社会人も勉強して自己投資をすることが重要だと説きます。

 

 つまり人が「考える葦」になるために、自分の頭で考え自分の言葉で自分の意見をいえるような人間を育てることが、教育の根源的な目的ということです。

 そして「考える葦」としての人間の成長には完成も終わりもありませんから、この目的のためには子供の時期だけに限らず、大人になっても一生勉強し続ける必要があるのです。 (本書 P.152 より引用)

 

 すでに諸外国では、学んで働く、学んで働くの繰り返しが当たり前になっています。25歳以上の学士課程への入学者の割合は、OECD平均が16.8%なのに対し、日本はわずか 2.5%にとどまっています。

 大学院への進学者も少ない。世界の大学院生は10年くらい働いてから入学するのが当たり前です。「仕事の経験がある人のほうが高度な学習ができる」というわけです。 (本書 P.157 より引用)

 

前半の「自分の頭で考え自分の言葉で自分の意見を言えるようになる」というのは、情報が溢れかえる現代社会では特に強く求められる能力だと思いますが、それには地道な努力が必要です。

 

以前に紹介した『遅いインターネット』でも触れられていたように、現代の多くの日本人はこの能力をどんどん失っているように感じます。

 

dandee.hatenablog.com

 

『遅いインターネット』では、対策の一つとして良質な情報を収集し、深く読み込み発信することを繰り返すということが挙げられていましたが、その良質な情報の集め方について、具体的な言及はほぼありませんでした。

 

本書では、考える力をつける方法として、古典を読み、思考パターンを真似ることを挙げています。

 

 考える力も料理と同じで、最初は考える力の高い人の真似から入り、試行錯誤を繰り返しながら自分のものにしていく。具体的には考える力の高い人が書いた本を読むことです。それは歴史的に長く読み継がれてきた古典に他なりません。たとえばアリストテレスデカルトアダム・スミス。最初はそうした極めて優秀な人たちの本をていねいに読み込んで、その人の思考のパターンや発想の型を真似ていくしかないと思います。 (本書 P.155 より引用)

 

私もまずアダム・スミス辺りから始めたいと思います。

 

(昔、アリストテレスを読もうと思って即脱落した過去があるので、不安しかありませんが。)

 

ではでは。