【BUMP】窓の中から 感想【一人でも大丈夫】

 

【『窓の中から』】

 

窓の中から

窓の中から

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ジャケ写が「窓」を意識してていいですね。

それぞれの窓は『SOUVENIR』のジャケ写です。

 

『窓の中から』は、昨日NHKで放送された『18祭(フェス)で披露された楽曲。

18歳という何者でもないような悩ましい時期。

特有の悩みをもつ人たちの合唱は心を打ちます。前回の18祭は、あいみょんでした。

 

 

楽曲も、そんな悩みに寄り添いつつ、今のBUMPのモードが強く反映されたものになっていると思います。

 

 

【感想】

 

メロディや歌詞全体を見ると『望遠のマーチ』っぽさを感じました。サビの「~~を」連呼は、まさにそれ。

 

望遠のマーチ

望遠のマーチ

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最近のBUMPのメロディラインが好きなので、『窓の中から』もしっくりきてます。

合唱のために作られており、BUMPリスナーがライブ会場で歌えば、また新しい感動が生まれそうです。

 

 

【歌詞考察】

 

昔のBUMPを意識しつつ、今のモードに着地させる構成で、すごく丁寧な歌詞です。

18歳の人たちにもきっと伝わるはず。

 

【ここにいるよ】

 

歌詞を読んでいて感じたのは「存在証明」

 

昔のBUMPは「俺はここにいるぞ!」と叫ぶ、自分の中にいる本当の自分と対話する、という色が強かった。「存在証明」を歌っていたと思います。

 

そこには「自分」という内側への強い意識がありました。

 

昔の曲で「窓」といえば『ラフメイカー』が浮かびます。

 

ラフメイカー? 冗談じゃない! 逆側の窓の割れる音

鉄パイプ持って 泣き顔で「アンタに笑顔を持ってきた」 (『ラフメイカー』より引用)

 

「窓」は部屋にある物なので、「窓の中」は自分の部屋の中ということになります。

『ラフメイカー』では「窓」は外から割られ、外の世界に引っ張り出されるのですが、視点はあくまで部屋の中からでした。

 

つまり【窓の中から】を文字どおりに捉えれば、『ラフメイカー』と同じような状況ですね。

 

そして今回の『窓の中から』は、「ここにいるよ」から始まります。

 

ハロー ここにいるよ 生まれた時から ここまでずっと

同じ命を削り 火に焚べながら生きてきた

 

瞼の裏の 誰も知らない 銀河に浮かぶ

すごく小さな窓の中から 世界を見て生きてきた ここにいるよ (『窓の中から』より引用)

 

この歌詞も、自分視点のものですね。部屋の中で一人でいるイメージ。

 

これが2番になると、他者が出てきます。

 

ああ ここにいるよ 少し似た色の 知らない光

同じように生きる灯に 手を振っても 分からないかな

 

ハロー 遠い隣人 あまりに巨大な 銀河で出会う

こんな小さな窓の中にも 届いたあなたの灯 ここにいるよ (『窓の中から』より引用)

 

「ここにいるよ」が「存在証明の声」から「誰かに呼びかける声」になっています。

『orbital period』期辺りから「自分と他者」の視点が色濃くなっていったのと重なりますね。

 

orbital period

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【分かち合えない】

 

『orbital period』収録の『カルマ』にも「ここにいるよ」のフレーズがありました。

 

鏡なんだ 僕ら互いに

それぞれのカルマを 映す為の

汚れた手と手で 触り合って

形が解る

 

ここに居るよ 確かに触れるよ

一人分の陽だまりに 僕らは居る (『カルマ』より引用)

 

(もう一人の)自分と向き合う曲です。

いま改めて見ると、「存在証明」と「誰かに呼びかける」の狭間にある歌詞に思えます。

 

最初に「鏡」というフレーズが出ていますが、『窓の中から』にも「鏡」が登場します。

 

綺麗事のような希望を いつもそばにいた絶望を

他の誰とも分かち合えない全てで 喉を震わせろ 自分の唄

 

グーの奥にしまった本当を 鏡からの悲鳴に応答を

同じように一人で歌う誰かと ほんの一瞬だけだろうと 今 重ねた声 (『窓の中から』より引用)

 

2番サビからの引用です。

ここだけ見ると、「鏡からの悲鳴」=「自分の唄」と読めなくもないですが、2番の歌詞全体を見ると明らかに「他の誰か」を意識した歌詞なんですよね。

 

『カルマ』では「(もう一人の)自分」を映し出すものだった「鏡」が、『窓の中から』では他者との関係を映し出すものとして書かれていると捉えてもいいでしょう。

 

『カルマ』では「自分」と「(もう一人の)自分」は最終的にひとつになりますが、『窓の中から』では最後まで「分かち合えない」ままです。

 

生み出してしまった希望を 頷いてくれた絶望を

他の誰とも分かち合えない全てで 宇宙を震わせろ 今 (『窓の中から』より引用)

 

相手と分かり合えるかもしれないという「希望」を生み出し、そして分かち合えない「絶望」を味わう。誰しもが経験のあることだと思います。

 

この「他の誰とも分かち合えない」は、最近の楽曲に強く出ている感情です。

 

dandee.hatenablog.com

 

分かち合えないけれど「同じように一人で歌う誰か」が集まって、ライブ会場で素晴らしい光景が生まれる。お互いのことは知らない「無数の一人」がライブを作っていく。

 

無数の「存在証明」。

 

そんな「わかりあえない他者とのつながり」が、今のBUMPのモードなんだろうなと思いました。

 

【一人でも大丈夫】

 

私が一番刺さったのは、最後の部分です。

 

これからの世界は全部

ここからの続きだから

一人で多分大丈夫

昨日 明日 飛び越える声

 

ああ もっと話せば良かった

言葉じゃなくたって良かった

すれ違っただけだろうと

今 今 重ねた声

LA LA LA… (『窓の中から』より引用)

 

まさにライブが終わった時の感情じゃないでしょうか。

「ここからの続き」=明日からの日常、と読み替えればしっくりきます。

 

「言葉じゃなくたって良かった」って、もう完全にラストMC(+アンコール)を意識したフレーズだと思いますし、自分の熱い感情をそのまま歌詞にしたような感じです。

 

ライブ会場でも日常でも「一人」であることは変わらないけれど、きっと大丈夫。今日出した声が、時を越えて(「昨日 明日 飛び越える声」)助けてくれる。

 

いやぁ、良い唄ですね。

 

ではでは。