dandeです。
今回は、読書記事。
ただの名著でした。
日本人の必読書と言ってもいいかもしれません。
目次
【『「空気」の研究』】
もともとは、1977年に発表された文章であり、本書はその新装版です。
約40年前に書かれたにもかかわらず、見事にコロナ禍の日本社会に当てはまっているのがすごい。
約 240 ページですが、内容が深く、読み終わるには少し時間がかかりました。
文体は読みやすく、一昔前のネット民みたいな言い回しもあって面白いです。
【主な内容】
本書が研究対象としている「空気」とは、「あのときの空気では、ああせざるを得なかった」のように使われる「精神的な空気」(P.15)のことです。
現代的に言えば、いわゆる「空気読めよ」の「空気」がそれにあたると思います。
大きな意思決定、判断の基準として、しばしば「空気」が用いられます。
その「空気」とは何なのか、そして私たちはどのようなメカニズムでそれに拘束されるのか、さらには私たちは「空気」に対してどう対抗すればいいのか、本書はその3点を論じています。
本書のキーワードの一つが「臨在感的把握」。
聞き慣れない言葉だと思いますが、筆者はこの「臨在感的把握」を「空気」だと言っているので、ここの理解は必須です。
「臨在感的把握」とは、ひとことで言えば「人や物への感情移入」です。
物質から何らかの心理的・宗教的影響をうける、言いかえれば物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受けるという状態 (本書P.34より引用)
その例として、筆者が挙げているのが「人骨への感情移入」。
遺跡発掘で出てきた人骨を運ぶ作業を日本人とユダヤ人がしていたところ、日本人だけが病気のようにおかしくなってしまったという事例です。
ただの物質にすぎないはずの人骨が、日本人に何らかの心理的影響を与えた。
人骨から放射能が出る訳でもないのに。
物質的影響ではなく、心理的影響だという点がポイントです。
筆者は、これが「空気の基本形」(本書P.34)だろうと述べています。
そして、人骨と同様の事例として、「カドミウム金属棒」を挙げています。
カドミウムといえば、有名なイタイイタイ病の発生原因として恐れられた金属。
当時、取材中にカドミウム金属棒を見せられた日本人記者がのけぞって逃げ出したエピソードが事例として紹介されています。
現代に生きる私たちがカドミウム金属棒を見せられて、同じような反応を取るでしょうか。
取りませんよね。
これはつまり、心理的影響(=「臨在感的把握」)が歴史的な要因によっても生じるということです。
一体、臨在感的把握は何によって生ずるのであろうか。一口にいえば臨在感は当然の歴史的所産であり、その存在はその存在なりに意義を持つが、それは常に歴史観的把握で再把握しないと絶対化される。そして絶対化されると、自分が逆に対象に支配されてしまう、いわば「空気」の支配が起ってしまうのである。 (本書 P.41~42より引用)
ここでもう一つのキーワードが登場しました。
「絶対化」です。
なぜこれが重要かと言うと、「臨在感的把握」を「絶対化」することで、「空気」が醸成されるからです。
現在で言えば、「新型コロナウイルスの恐ろしさ」を人々が絶対化したとき、それは人々を支配する「空気」になります。
この絶対化を打破する方法として、筆者は「相対化」を挙げていますが、そろそろ長くなってきたので一旦切ります。
続きは、後編にて。
ではでは。